ボラは本来美味しい魚で有名であったが、博多湾のボラを食べる勇気は持ち合わせておりません。

夏場にサビキ釣りをしていると、たまに掛かり、周囲が騒然となるのがボラが掛かった時です。

 

 

ビギナーは興奮していますが、ベテラン釣り師は、手助けに掬ってあげるとタモの網が臭くなるため、知らん顔をしていることが多いものです。

 

 

チヌやスズキやメバルなどと比べると、扁平な頭と、キョトンとした妙な目つきなために余計に嫌う方が多いようです。

 

タモで掬ってハリを外そうとすると、既によからぬ悪臭が漂います。

 

この時点で、すでにノックダウン。

 

多くの方は、ハリから外したボラをいち早く海に戻します。

 

私もそうですが、博多湾の湾奥で釣れたボラを持って帰って食べたという話は聴いたことがありません。

 

 

春先から晩秋にかけて、近所の博多コマーシャルモール横を流れる御笠川の堰堤下にはボラの大群が押し寄せます。

 

中には頭がや体が所々白っぽいボラもいて、不気味さが増します。

 

こんなところのボラは、絶対に食べたくありませんね。

 

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江戸時代のボラはヒラメと比肩する高級魚をして扱われていた!って信じられますか?

 

ボラは出世魚としても知られており、オボコ → イナッコ → スバシリ → イナ → ボラ → トドと呼ばれます。

 

80センチ近くまで成長するボラをトドと呼びますが、「トドの詰まり」という語源にもなっています。

 

だいたい出世魚は美味しい魚が多く、ブリやスズキなどを考えていただくと、お分かりいただけるかと思います。

 

 

江戸時代のボラは、食用魚として確たる地位を確立していたようで、お祝い事の際の贈答用にも使われていたとのこと。

 

その当時のボラの扱い方は、なんと現代での高級魚の代名詞でもあるヒラメと同格あったそうです。

 

江戸時代の習慣を残して、産後のお祝いとして妊婦さんに食べさせる地域もあるようです。

 

かなり以前、ラッツ&スター の「め組のひと」という歌の中で「イナセ」という言葉が出てきますが、これは江戸時代の粋な男に対する誉め言葉の一つであるこの言葉の語源は実は小型のボラの「イナ」に由来するのです。

 

江戸時代はそれほどまでにボラは高級魚として扱われていたのです。

 

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外洋に面するところで釣れた寒ボラは格別に旨い!とか

 

江戸時代には高級魚として名をはせたボラは、近年釣り人の嫌われ者の代表格となりました。

 

その理由は、水質の影響を受けやすいボラは、水が汚れているところではたちまち臭くなり、捌くだけで食欲が失せるほどの悪臭を放つからです。

 

ボラが嫌われる理由は、その悪臭に由来することがほとんどです。

 

明治時代以降、日本は国を挙げて西洋に追いつき、追い越すことを日々やってきました。

 

その結果、多くの河川は汚染され、内湾も汚染されてしまいました。

 

 

中洲を流れる那珂川の本流や支流にも多くのボラが泳いでいるのが見られます。

 

江戸時代であれば汚染させれていなくておいしかったのでしょうが、今となっては那珂川に泳いでいるボラを釣る人もいなく、ましてや食べるような人も見聞いたしません。

 

私は、ボラを食べた記憶が2回ほどしかありません。

 

からし酢味噌で食べた記憶がありますが、可もなく不可でもないといった感じでした。

 

外洋に面したところで冬に釣れる脂ののった寒ボラは格別美味しいということを聞いたことがありますが、私は残念ながらそんなに美味しいボラは食べたことがありません。

 

さらにボラには、珍重される部位があるのです。

 

 

それは、ボラのへそと呼ばれる幽門です。

 

泥を食べるボラにとっては大切な器官で、新鮮なモノは刺身や外側を少し炙ってたたきにして食べるようです。

 

綺麗な海で採れたボラでないと、凡そ食べられないような気がします。

 

博多湾で採れたボラの幽門など食べたくないですが、綺麗な海で採れたボラの幽門は是非一度食べてみたいものです。

 

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